リーチ主将、来日15年で8強の偉業=天井にひらがなで日本語習得-ラグビーW杯

リーチ主将、来日15年で8強の偉業=天井にひらがなで日本語習得-ラグビーW杯

10/21(月) 19:03配信

時事通信

 ラグビーワールドカップ(W杯)で史上初のベスト8進出を果たした日本代表のリーチマイケル選手(31)は、留学生として15歳で来日し、その後の15年間を日本で過ごしてきた。

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前回に続き主将を務めた今大会を総括した21日の記者会見では、「ずっと強いままキープすることが大事」と話し、代表チームのさらなる飛躍に目を向けた。

父はニュージーランド(NZ)人、母はフィジー人のリーチ選手は2004年6月、出身地のNZからリュックサックとキャリーバッグ一つを持って、留学先の日本の地へ降り立った。最初のホームステイ先となった札幌市の森山修一さん(68)、久美子さん(64)夫妻を「お父さん」「お母さん」と呼び、子供たちとは兄弟のように下の名前で呼び合った。

小学3年生の教科書で日本語の勉強を始めたリーチ選手のため、夫妻は部屋の天井にひらがな表を張り、自宅で英語を使うのを禁じた。日本になじむため、お盆には一緒に親戚の家へ行き、墓参りにも連れて行った。大好物は豚肉のそぼろと卵、ピーマンを使った三色弁当。「持ち帰った弁当箱はなめたようにきれいだった」と久美子さんは笑う。

当初は3カ月の予定だった森山家での生活は、約9カ月間に及んだ。家を離れる頃には、上手に日本語を話すようになっていた。その後も正月は森山家で過ごし、高校3年の頃には漢字検定を受け、日本のテレビドラマを見て涙するほどになった。

初めから選手として突出していたわけではない。留学先の高校では当初、練習で当たり負けし、試合でも存在感を示せなかった。それでも将来の代表入りを見据えて黙々とトレーニングを重ね、大学時代に日本代表へ選出された。両親の出身地と日本の3カ国で代表になれる可能性があったリーチ選手は、桜のジャージーを選んだ。

来日から7年たった11年、W杯に初出場すると、13年には日本国籍を取得。前回W杯では主将として強豪南アフリカを撃破し、世界に衝撃を与えた。

初の決勝トーナメントを戦った翌日の会見でリーチ選手は、「このチームのキャプテンを務めて誇りに思っている」と語り、続けた。「日本代表になりたいという子どもたちが増えれば、それが一番うれしい」。

最終更新:10/21(月) 19:16
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